すがわらたけお
私の祖父は、菅原武夫と言います。
噂によると7人兄弟らしく、人生で歯医者にかかったことは一度も無し。朝ご飯は決まって卵かけご飯。物作りが得意で、日本でも有数の能面彫師だった祖父の手はいつもゴツゴツとして温かかった。
祖父は栗原市では伝説の男だった。
畑を耕し、鰻を手で掴み、山道の溝にハマったカミツキガメを助け、オリジナルのハブ酒を自分で作って飲んでいた。
5歳くらいの頃、祖父の庭の池には鯉とどじょうがたくさんいたので、一緒に泳いで遊んでいたら、祖父がどじょうをおもむろに救い上げ、生きたまま竹串に刺して七輪で焼き始めた事があった。
優しいと思っていた祖父が彼岸島の雅に見えた。マジ鬼だった。
さっきまで一緒に遊んでいた友達(どじょう)は悲痛な叫び声を上げ、祖父の腹の中へと消えて行った。私が祖父に、「じぃじ嫌い!!」と泣いたのは、その時が最初で最後だった。
そんな祖父は、自前の歯を一本も欠かすことなく、去年の冬、息を引きとった。
両親が共働きでおじいちゃんっ子だった私。
毎週のように祖父と2人で、ベニーランドか八木山動物園に行っていた。
ひょうきんもので人からも動物からも愛される祖父は、まさに宮城県栗原市のアイドルだった。
家のガレージに燕が巣を作れば、飛び立つまで見守り、実家の離れにあった自分の作業部屋に人を集めては料理を振る舞うので、動物や人がよく祖父の家に集まっていた。アイドルと言うより、栗駒版白雪姫だった。
祖父とは対照的に、潔癖症で人付き合いを嫌う祖母からは「家を汚すな」とよく怒られていた。
でも私はそんな祖父が大好きだった。
そんな祖父が認知症を患ったのは、私が高校に上がった頃だろうか。
当時既にAKB48として東京で活動していた私は、なかなか祖父に会いに帰れずにいた。
久しぶりに会った祖父は、昔と変わらない、まん丸な顔とまん丸な目で、ベッドから私を見上げていた。
「じぃじ、華怜だよ。」
そう言うと祖父は目をパッと開き、私の手をぎゅっと握るのだった。
母は祖父が亡くなるまで、ほぼ付きっきりで介護し、父はそれを支えていた。
本当に、みんなから愛されるじいちゃんだった。
私は変わり果てた祖父を見るのが辛くて、会いに行くと泣いてしまうから、いつもお見舞いに行くのが少し怖かった。
祖父の容態が悪化して、急いで会いに行った一昨年の年末。
目も開かず、声も出せない状態で、酸素マスクを付けて横たわる祖父の手を握り、私は何度も声をかけた。
祖父が最期にパッと目を開き、私の手をぎゅっと握ったのは、私が
「じぃじのお面、一個貰ってもいい?」
と聞いた時だった。
きっと祖父も、仕事に誇りを持った立派な芸術家だったのだろう。
そして私はその血をしっかりと引き継いでいると脈々と感じる。
祖父の能面はまだ栗原の実家に大切に保管されているが、私が渡米する際には一つ、お守りとして連れて行こうと思う。
祖父の葬儀は、コロナ禍だったこともあり、完全家族葬として行われた。亡くなったことも、ほとんど家族と親戚にしか知られていなかった。
ところが葬儀当日、武夫さんの訃報をどこから聞きつけたのか、当初の予定を大きく上回る人数の方がお別れを言いに駆けつけてくれた。
栗原市市長を始め、「萩の月」でお馴染みの菓匠三全の専務や宮城のテレビ局の人々など、ただでさえ忙しい人たちが雪の中わざわざ来てくれた。
一番驚いたのは、私たち家族も初めてお会いするような祖父の友人たちがあまりにも多かったことだ。みんなわざわざ手を合わせに来てくれた。
武夫は一体どこでこんなに大勢の友達を作ってきたのだと、家族で空いた口が塞がらなかった。
話を聞くと、「武夫さんに自転車を直してもらったんです」とか、「武夫さんに息子が何度も送り迎えしてもらいました」とか、「武夫さんに庭の植木を整えてもらってました」とか、
最後の最後まで、じぃじの人徳には敵わないねと、母は泣き笑いながら手土産を100個追加注文していた。
本当に凄いじいちゃんだった。
今日は久しぶりに母の仕事の付き添いで栗原市へ行ったので、祖父母の実家へ寄って少し勉強させてもらっていた。
祖母も今はホームへ入り、この家には誰もいない。
しかし、ガレージの裏口から入った時の台所の匂い、居間に入ろうとすると軋む床板、優しい眼差しで出迎えてくれるたくさんの能面たち、それらのおかげで、今も鮮明に祖父母との思い出が蘇る。
じいちゃんの畑に、じいちゃんのママチャリの後ろに乗って、トウモロコシを採りに行く。
そのトウモロコシをばあちゃんが洗って、湯掻いてくれる。
それが夏の恒例行事で、私はそのトウモロコシを超えるトウモロコシには未だ出会った事がない。甘くてシャキシャキしてて、とにかく美味しいのだ。
じいちゃんの畑も、ばあちゃんが立つ台所も、今はもう無い。
そんなことを考えながら1分に1回集中力が切れる頭で英単語帳をとりあえず開いていると、部屋の片付けをしていた父が、何かを持ってきた。
祖父が生前私のために植えたブルーベリーが、元気に育っていた。
祖父の存在は今も私たち家族の心に大きく陣取っている。亡くなった今でも、こうして私が帰ってくると、贈り物をくれる。
祖父に良く似た人柄の母、そして祖父のことを実の父親以上に慕っていた父も、年々歳を取っている。もちろん私も。
距離は離れていても、残された人生の中で、私はこの2人に何を返せるだろう。
最近はそればかり考える。
誰の手も借りず立派に育ったブルーベリーは酸っぱくて、甘かった。